カテゴリー「1.花田編集長の『今日、この人に会った!』」の19件の記事

2006-07-05

6月16日 今井仁子さん

(*3日分更新しました)

 鈴木明さんのノンフィクションの傑作『南京大虐殺のまぼろし』を「ワックBUNKO」で復刊することになり、見本が出来たので鈴木さんの未亡人、仁子さんにお届けする。
『南京大虐殺のまぼろし』が出版されたのは1973年というからもう30年前。本多勝一『中国の旅』に書かれたような南京大虐殺や百人斬り競争が本当にあったことなのか、「ちょっと待てよ、何かおかしい」という素朴な疑問からスタートした鈴木さんのレポートは、それらが「まぼろし」ではなかったのかとジャーナリズム、とくに新聞というメディアにつきつけた。
 以来、30年余、南京大虐殺に関しては東中野修道さんによる綿密かつ実証的な反論でほとんど否定されている。
 百人斬りについては言うまでもない。現実に不可能だろうということは、常識で考えれば分かることではないか。
 にもかかわらず、毎日新聞や朝日新聞は、百人斬りについて謝罪どころか、取り消しもしない。遺族が百人斬り報道の不当を訴えた裁判は高裁でも棄却された。裁判の不当は言うまでもないけれど、新聞はジャーナリズムとして不誠実ではないか。毎日新聞、朝日新聞の記者ひとりひとりに「本当に百人斬りなどということが可能と思うか」を問いたい。
 話がそれた。
 今井夫人は「亡き主人が喜びますでしょう。早速、仏壇に供えます」(鈴木明さんは2003年に亡くなっている)。
 とても若々しく、とても華やかな女性で、「今、ヨン様の追っかけをやってるんです」と笑った。
「何年前でしたか、初めてヨン様に会うツアーというのがあって、初めて参加したんですよ。その時に参加したのはたったの8人。それが、2回目は800人。それ以来、ずっと韓流というか韓国にハマってます。いずれ、日韓の文化交流について何か書ければと思っているのですが……」
 それにしても文藝春秋がこの『南京大虐殺のまぼろし』(文春文庫)を絶版にしたのは理解に苦しむ。だからワックで出せたから、いいのだが。

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6月10日 矢崎泰久さん

 「マスコミの学校」、今日は矢崎さんの講義。矢崎さんとは主義主張こそ違え、尊敬すべき先輩編集者のひとり。『話の特集』という雑誌は戦後雑誌史には必ず残る。あれだけの若い才能――和田誠、横尾忠則、長新太、篠山紀信、立木義浩、アラーキー、色川武大、井上ひさし……(挙げていくとキリがない)を周囲に集め、開花させていった矢崎さんの人脈と鑑識眼には敬服するしかない。
 今日、矢崎さんから聞いたおもしろい話。
「サッカーというのは見ておもしろいスポーツじゃないんだ、とくにテレビなんかで見ても少しもおもしろくない」
成城学園高校時代にサッカー部員だったという矢崎さんの話は説得力がある。
「サッカーは審判が見ていなければどんなことをやってもいいスポーツ。シャツを引っ張って倒そうが、足を掛けようが、審判に見つからなければ許される。いかに審判の眼をくぐってズルするかが勝負なんだ。
 ぼくが成城の頃、石原慎太郎が湘南高校のサッカー部にいた。その頃、成城と湘南はいつも定期戦をやってたの。湘南の石原といや背も高いし、ハンサムだし、それに口惜しいことにサッカーもうまいのね。
 ぼくは背が低いだろ。それで、いつも審判の眼を盗んでは石原を足かけたりしてころばせてたんだ。だから、会うと石原は今でも言うんだよ。『オマエはズルイ奴だ』って」
 古きよき時代のお坊っちゃん学校とエリート校の育ちの良い少年たちの姿がほうふつとする。
 石原さんと矢崎さんと言えば、それこそ主義主張は正反対だが、会えばそういう冗談が交わせるのがスポーツのいいところ。青春を共有したもの同志の友情を感じた。

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2006-06-09

6月2日 熊坂隆光さん

 柳橋のてんぷら屋大黒屋でサンケイビジネスアイの熊坂隆光社長、産経新聞の営業部長の懸良二さんと会食。
 熊坂さんはかって久保絋之さん、そう、『WiLL』で堤堯さんと「蒟蒻問答」を繰り広げている久保さんの後輩で一緒に仕事をしていたそうだ。
 熊坂さんが語る久保さんの武勇伝。

「当時、産経は通勤定期が現物支給だったんです。ところが久保さんは時々しか社に来ないから、その日、定期が切れてたんですな。丸の内線大手町の地下鉄の駅員にとがめられた。
 そうしたら、久保さん『なにおー、産経社員は定期をもらってること知ってるだろう? 何? 知らない? よーし、ちょっと来い』。そう言って、若い駅員の襟紙をひっつかんで、3階の編集総務まで連れて来ちゃったんです。『どーだ、ちゃんともらえるだろ!』って。若い駅員はベソかいてました」

「国会の開会式の日、天皇陛下が国会にいらっしゃるでしょ。陛下が入られる時は全員が部屋に入って廊下には誰もいないようにしなくてはいけないんです。
 ところがある時、久保さんがバタバタと陛下の後を追いかけて走っていく。衛視がやっと止めたんですが『オレは陛下のコメント取ろうと思ったのに』と怒ってる。戻って来た時に『久保さん、やはりマズイですよ』と言ったら、『何を言うか!』って殴られました」

「久保先輩が結婚した頃、ちょうど時を同じくして上野動物園のゴリラのブルブルが嫁さんをもらうことになったんです。そのメスゴリラの名がトヨコ。久保さんの新夫人の名が豊子さんだったから、周りからからかわれた。そうしたら久保さん、上野動物園に怒鳴り込みに行った、というのはむろん、冗談ですが(笑)」
 久保さんは、ああ見えて学生時代は剣道部の猛者、なかなかに硬派なのだ。襟首つかまえられた駅員は、さぞ怖かったであろう。

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6月1日 秋山晴彦さん

 マガジンハウスの写真資料室にグラビア用の写真を見に行く。途中で淀川美代子さんの席を覗く。仕事中だった。相変わらず現場で生き生きとして仕事をしている淀川さんは素敵だ。
 マガジンハウスの写真資料室はスター、芸能人の写真の宝庫。膨大な写真を一枚一枚見ていると、次々とプランが浮かんでくる。こんなこともできる、あんなこともしたい。きりがない。
 帰りにマガジンハウス本社隣の書店、新東京ブックサービス秋山さんの所に寄る。出版界切っての事情通。昔から、いろいろ教えてもらっている。
 裏の小部屋でのっけから、
「いやぁ、本も雑誌も売れないねぇ。もう知性も教養もいらない時代なんだろうなぁ。『文藝春秋』が落ちてるのも無理はないです。唯一売れてるのが『LEON』。それはそれでいいけど、あれがいちばんいいというんだから出版界もひどいことになってます」
 もっとひどい話を聞いた。
「『ダヴィンチ・コード』、初版200万部が中、小の書店には回ってこないんです。うち程度の書店でも配本ゼロ。書店の7%が、配本ゼロですよ。うちは裏から手を回してなんとか4、500冊確保しましたけど……。
 取次と出版社がこんなことやってるんだから、出版の未来は暗い……」
 それでも、店頭に立つと秋山さん、平積みされた本を眺めながら、これが売れてる、これはもうひとつ。本を愛してることが伝わってくる。
 昨年亡くなった銀座教文館の中村義浩社長といい、秋山さんといい、こういう書店人を失望させてはいけない。

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5月25日 針木康雄さん

 針木康雄さんの勉強会に呼ばれ、出版界のあれこれを話す。
 針木さんとももう30年くらいのつき合いか。三越の岡田茂社長批判を『文藝春秋』と『財界』で歩調を揃えてやったことがある。
 経済誌と企業とのつき合いは親密になり過ぎれば「ベッタリ」と批判されるし、厳しいばかりでは企業との関係がおかしくなり、スポンサードしてもらえなくなる。そのかねあいが難しい。『財界』から『経営塾』『BOSS』と針木さんが未だに経済誌を続けているのは並大抵の努力ではできないだろう。それと、基本的に明るい針木さんの性格。
「佐々木久子さんがやっていた『酒』という雑誌、あれが休刊してるのがもったいなくてやってみたいと思ったんだけど、いろいろ権利関係がややこしくて。あれは、いい雑誌だったよね」
 佐々木さんといえば、『酒』の編集長として業界では知らないものはいなかった女傑。今、どうしていらっしゃるのだろうか。
 七十を越してまだ雑誌に夢を持つ、やりたい雑誌のある針木さんは素敵だ。
 その後、針木さん、『BOSS』編集長の関慎夫さんと、何年ぶりかで銀座のクラブ「数奇屋橋」へ。相変わらず元気一杯の園田静香ママであった。出版した『文壇バー 君の名は「数寄屋橋」』(財界研究所)関連のスクラップを次々と見せられる。こういうことが嫌味なく出来るのがママの人柄。いわゆる「文壇バー」も少なくなった今、貴重な存在。
 針木さんの会で雑談の時に中條高徳さんから聞いた話。
「瀬島龍三さんがかつて江沢民に会った時に言ったそうだよ。『もう、お国も経済発展しつつあるんだから、いい加減、ひとりっ子政策はやめたらどうか』って。そうしたら江沢民がこう答えた。『瀬島さん、もしひとりっ子政策をやめたら一年で、フィリピンがもう一国できます(人口8300万人)。二年でインドネシアができる(人口2億1700万人)。地球はもちますか』。そりゃ困るわねぇ」
 現在、地球の人口は64億。中国が13億といわれているが一説には15億とも。そのうえ毎年、1億も2億も増えたら確かに困る。地球が養える最大限の人口は80億というのだから。
 日本の少子化をプラス面で考えることも可能なのでは。

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2006-05-25

5月24日 中国大使館 呉江浩政治部参事官

 古い友人の猪坂豊さんのセッティングで中国大使館の呉江浩政治部参事官、蔡紅政治部一等書記官、蒔剣一等書記官と会食。
 創刊以来、中国批判は『WiLL』の大きなテーマのひとつで、毎号のように取り上げている。「王毅大使の嘘とデタラメ」などという過激なタイトルの記事を掲載しても、中国大使館からは抗議のひとつもなかった。
 そういう雑誌の編集長と会ってみようというのだから、多少は意識しているのだろう。断る理由はない、というかむしろ喜んで会いに行った。
 お互い言いたいことを言ってなかなかおもしろかった。
 小泉総理の靖国参拝については、予想通り公式的発言を一歩も引かない。ま、言論の自由のない国だからこれは止むを得ない。
 印象に残った話。
 ユン・チアンの『マオ―誰も知らなかった毛沢東』(講談社)について。
「あれは非常に片寄った作品。しかも取材が不十分です。彼女ひとりで取材できるわけがない。
 ただ、今や中国でも毛沢東を礼賛している人は三割ぐらいしかいません。批判的な人が一割。あとの六割の人は聞かれればよくわからないと答えるでしょうね」
 十分な情報開示が行われてないからわからないのだろう。
 あと、日本のマスコミが中国のことをきちんと伝えていない、というので反論するとこんな例を挙げてきた。
 1998年に江沢民国家主席が来日した時、人民服を着て、天皇主催晩さん会に出席したのは失礼だという批判が出た事件。
「あれは外務省に言われて着ていったんです。外務省から民族衣装を着てきてくれと言われたので着ていった、そのことを説明しても日本のマスコミは一切書いてくれない。だから未だに誤解したままの日本人も多い。ああいうことをなぜちゃんと書いてくれないんですか」
 しかし、人民服は民族衣装か……?
 いっそ、共産主義をやめて資本主義の国になります、と宣言したら楽なのでは。
「十三億の人間をまとめていくには今のところ共産主義がいいと思います」
 じゃあ、今でも心から共産主義を信じているのか。
「理想として信じています」

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2006-04-17

4月14日 上坂冬子さん

 久し振りに自由が丘の上坂さんのお宅に伺う。昨年秋、卵巣がんの手術をなさってからは初めてだったが、予想以上にお元気で安心した。鮨をつまんだ後、事務所に戻り、ぼくが持参した九段、ゴンドラのパウンドケーキをペロリ。食欲も旺盛だ。(余談だが、このゴンドラのケーキ、今、若い女性に大人気だ)
 昨年秋、どうもお腹が異常に太って苦しいので、聖路加の日野原重明さんのところへ行った。
「そうしたら、まずお腹を見て、これは腫瘍が出来てるね。で、背中を見て、うん、肉が落ちてるから、これは卵巣がんだって。あのくらいになると、体型見ただけでわかっちゃうのよね」
 最近、上坂さんが出した『戦争を知らない人のための靖国問題』(文春新書)が売れている。3月半ばに出してもう4刷り7万部とのこと。
 『WiLL』5月号の書評で堤堯さんも取り上げているが、実にわかりやすく、明解に靖国問題を論じている。「論拠のはっきりした政府表明を出せ」と本の最後に胡錦濤中国首相、盧武鉉韓国大統領にあてた声明書の私案をつけているが、上坂さんらしいアイデアだ。
 この本を上坂さんは手術後、抗がん剤投与のため、入院中、10日ほどで書き上げたという。四百字詰めで約二百枚。
「なにか取り付かれたようになって、三日徹夜して書き上げたのよ。朝、看護婦さんが来て、びっくりしてた。病院で徹夜した患者は初めてですって」
 そりゃそうだろう。ふつう抗がん剤を打てばぐったりして仕事どころじゃないのに、どこからそのエネルギーが沸いてくるのか。
「その時、ベッドで食事するためのスライド式のテーブルを使ったんだけど、あれが具合いいので退院してから、買ったのよ。だけど、やっぱりダメね。アンタ、使わない?」
 と、言われてもなぁ。

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2006-04-12

4月10日 自衛隊艦上レセプション

 晴海に入港中の海上自衛隊練習艦隊の艦上レセプションに行く。会場は練習艦かしま(4050トン)の艦首。自衛官たちが整列し、敬礼で迎えてくれた。
 『戦艦大和最後の乗組員』の著者八杉康夫さんに聞いた話だが、海軍の敬礼は腕を横に広げず、脇をしめてするのだという。艦内が狭いので、昔からそういう形になっているらしい。改めて観察してみるとたしかにそういう敬礼だった。
 敬礼には敬礼で返さなくては失礼なのかなとは思ったが、ちょっと恥ずかしくてできない。礼をしつつ列の間を抜ける。
 艦の上は寒い。
 齋藤隆海上幕僚長らも出席。勲章をつけた制服が似合っている。制服を着ているだけで、いかにも軍人らしくなってしまうのだから不思議なものだ。
 若い隊員に話を聞く。防大を出て5年目。
 訓練射撃(主砲など)、訓練発射(魚雷)は年、1、2度とのこと。予算の関係もあるのだろうが、イザという時ちゃんと射撃、発射ができるのだろうか。
 古庄幸一前海上幕僚長とも久し振りに会った。
 古庄さんの話。
「船は英語で女性名詞ですよね。Sheと言うでしょ。なぜだかわかりますか。いろいろ説があるんです。①喫水線の下がまるでスカートをはいているようだから。②ちょっと品がわるい表現ですが、男しか乗せない。実際には女性自衛官が乗っている船もあるんですがね。もう少し品が悪い説ががもう一つあるんですが……」
 これは伺ったけれど、品が悪いのでカット。

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2006-04-11

3月27日 小野田寛郎さん

 2月号に掲載した小野田寛郎さんと中條高徳さんの対談を中心にして『だから日本人よ 靖国に行こう』という本を近く出版する。
 その最終打合せのため小野田さんが来社。
 つい先日、ブラジルから帰国したばかり。冬の寒い間はブラジルに戻り、牧場の経営に専念している。84歳の今も、自ら馬に乗って牛を追っているという。
 いろいろ話を伺っていたら電池が切れたらしくテープが止まってしまった。
 単3の電池を持ってきてもらって入れ替えていたら、慌てていたせいで、古い電池と新しい電池が入り混じってどれがどれやらわからなくなってしまった。
 と向かいに座っていた小野田さんが、指さして、「これとこれが新しい電池です」。
 鋭く僕の手元を観察していたらしい。
 さすがだ。これくらいの観察力、注意力があるからこそ、ルバング島で30年間も生き延びることができたのであろうと改めて感心した。
 小野田さんでもうひとつ驚いたのは、長時間、トイレに行かないで我慢できること。
「山中でおしっこをすると、その臭跡をたどられて発見される恐れがある。それで、なるべくおしっこしないように訓練したんです。長い間、そうしていたので、今も1日に1回ぐらい行けば大丈夫」。

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2005-08-23

8月8日 格闘二人祭

 新宿ロフトプラスワンでターザン山本!さんと吉田豪さんが格闘技のことを喋るというので、編集部の川島龍太と行ってみる。チケットはとっくに完売。
「取材に来ました!」。
 こういう時、編集者は便利だ。なんでも「取材!」。
 ターザン山本!さんは喋りはうまいし、書くものは、これだけ己れをさらしてもいいのかと思うくらい、「私」を語っておもしろい。葛西善蔵とか島崎藤村のような徹底的な私小説を書けば賞を狙えるのではと秘かに思っている。
 豪さん、こちらも書くものすべておもしろい。『TVブロス』の「古本新喜劇」愛読。最近出版された『元アイドル!』(ワニマガジン社)、タイトル通り元アイドルのインタビュー集だが、これは豪さんでなくては出来ないインタビューだろう。
 長髪だった山本さんが、帽子を脱ぐと丸坊主になってたのには驚いた。
「ファンだというヘアサロンの女の子がやらせてくださいというんで、横浜黄金町の店まで行ったんだよ。電車賃使って。『おまかせでいいですか?』と聞かれたので、つい『いいです』と答えたら、いつの間にかこんな風にされちゃって。この方がいいっていうのよ。いかりや長介ふうにしたって。文句も言えないじゃない。
 で、その後、彼女の仲間と横浜でメシを食ったんだけど、割り勘だし、そのうえ『山本さん、割引しときます』って整髪代まで取られちゃった。2000円。泣くに泣けなかったよ」
 会場大爆笑。その後も爆笑また爆笑で4時間、観客は大喜びだった。
 毎晩、こういうイベントが行われ、人が集まってくるのだから東京という街はおもしろい。東京から離れられない。
 但し、ぼく自身は新宿、とくにゴールデン街周辺は苦手。

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2005-08-05

8月3日 山野車輪さん 

『嫌韓流』(晋遊社刊)というマンガが、バクハツ的に売れている。嫌韓をテーマにしたマンガで、発売前からアマゾンの予約でトップにランクされていた。
 作者の山野車輪さんと会う。
 この本が出る前に西村幸裕さんが、「こんなマンガ、お宅で出せませんか」と紹介してくれたのだが、決断が一瞬、遅れ、晋遊社に決まってしまった。
 力技で巻き返そうと思ったのだが、晋遊社の若い編集者も会ってみるとあまりに熱心だったので、その熱意に負けてしまった。齢のせいかと反省する。
 山野さんは眉目秀麗という表現がぴたりのマジメな好青年。車輪というペンネームは、ハンドルネームがタイヤだったので、それを訳しただけとのこと(いろいろ反撃が予想されるので山野さんについてこれ以上は明かせない)。
 田舎から東京に出てきて、何年間かマンガを描いていたが、結局、さほど売れなかった。で、何かまだマンガになってないテーマはないかと考えた時に、ふと2ちゃんねるで異常に反韓が盛り上がっているのに気付いて、
「これをマンガにしない手はないと思いました。ヒットして父親がいちばん喜んでくれました。親戚に配ったりしてるんですよ」
 早くも「続」に取り掛かっているというが、
「テーマがテーマだから勉強がたいへんで、年内に出来るかどうか」
 マンガ界のことについてあれこれ教えてもらう。

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8月2日 八杉康夫さん 戸高一成さん

 呉の戦艦大和ミュージアムに。
 十分の一の戦艦大和は細部まで実物通りに復元され、さすがに大迫力。資料室も充実している。休みのせいか客が多い。
「開館三ヵ月で来館者五十万人を超え、これは日本の博物館の記録です」
 館長の戸高さんは、九段の「昭和館」産みの親。
「昭和館の資料検索の充実振りはすごいですよ。もっともっと利用してほしいんですが」
 戦中、戦後の資料、道具などを集めた「昭和館」は何度行っても飽きない。一升ビンにコメを入れて精白するなんてことは今の若い人は知らないだろうなぁ。紙巻タバコを自分で巻く機械とか。なつかしいものが並んでいる。当時のニュース映画も連日上映。まだ行ったことのない方はぜひ。
 八杉さんは『WiLL』9月号でも掲載したが、戦艦大和最期の乗組員。十五歳で海軍に入り、現在七十八歳。先日お会いした小野田寛郎さんもそうだったが、齢を全く感じさせない。
 背すじはピンと伸び、たったっと早足で歩くところもそっくり。「大和」に触れんばかりにあれこれ説明してくれる。「大和」を見る目は愛情が溢れていた。
「大和が沈んだ後は、呉にいたんですが、もう石油が不足して「伊勢」も「日向」も動かせない。この向いの島の近くに停泊していました。で、敵の爆撃機にやられてはというんで、漁網をかぶせ、その上に木の枝などをいっぱい乗せて偽装工作をしたんですよ。上空から見たら、島の一部に見えるようにと。
 ところがある日、空から米軍の伝単(ビラ)が落ちてきた。読んでみたら『このところ、枝が枯れてるようだから、代えたほうがいいのでは』って。米軍は全部お見通しだったんです」
 十一月には八杉さんの自伝『戦艦大和最期の乗務員の遺言』を刊行予定。

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2005-07-28

7月19日 鈴木久雄さん 

 久しぶりに麹町の焼肉屋東生苑に行った。9月号の校了が早く終ったのでスタッフと一緒に。
 文春にいた頃は毎週のように来ていた時期がある。あの頃はよく仕事もしたが、よく遊び、よく食べた。ご主人の鈴木さん夫妻は気さくないい方たちで親しくしていた。
 相変らず肉は極上。若いスタッフがうまいうまいと食べるのを眺めているのは気持がいい。驚くほどの食欲。若いっていいなぁと感慨にふけっていると、白髪混じりの髪を短くした中年男性が入ってきた。ニコニコしている。
 一瞬わからなかったが、ご主人の鈴木久雄さんだった。
 小さなカードを差し出す。
 見ると、「言葉が不自由なので、ゆっくりしゃべってください」と書いてある。
 脳梗塞の後遺症だという。
 それでもゆっくりならしゃべれる。言いたいことは伝わる。
 7年前に発病し、やっとここまで回復した。たどたどしい言葉で一所懸命説明してくれた。そういえば、何回か来た時も会わなかった。
 ぼくが来たのをとても喜こんでくれた。
「そうか。でもよくここまで……。よかったねぇ。頑張ったねぇ」
 思わず涙がこぼれそうになって困った。
 鈴木さんはとても研究熱心だった。
 ぼくが他の焼肉屋で食べて、あそこがうまかったと報告すると、すぐにその店に行き、自分で食べてきて、次に行った時に解説してくれる。いいところはすぐに取り入れる。
 帰りに一階を覗くと調理場で以前と同じように指揮をとっていた。
「鈴木さん、また近いうちに来るね。奥さんにもよろしく」
 握手をした。
 とてもいい笑顔だった。
 誰も一所懸命に生きている。そして生きているからこそ、再び会うこともできる。人間はやっぱり素晴らしい。

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2005-07-27

7月14日 田原さんのパーティー 

 田原総一朗さんが自選集全5巻を刊行し、『オフレコ!』を創刊(ともにアスコム)したのを祝って出版記念会。場所は全日空ホテル。
 田原さんとのつき合いも30年近くなるが出版記念会は初めて。
 いきなり、挨拶させられ、以下のようなことをしゃべった。

 私が雑誌の編集者になって幸運だったと思うことがいくつかありますが、そのひとつは田原総一朗さんと立花隆さんという当代きっての優れたジャーナリストお二人と一緒に仕事が出来たというか、お二人の仕事を間近に見ることができたことです。
 よくジャーナリストに必要な条件は何かと聞かれることがありますが、私はこう答えることにしています。
 ①に体力、②に好奇心、③はケツが軽いこと。
 そう言ったらある若い女性が、お尻が軽いことですねと、女性で尻が軽いのはいけません。ここはやはりケツじゃないと。
 田原さんも立花さんも①②の体力と好奇心、これは甲乙つけがたい。但し③が違います。
 立花さんは実はケツが重いんです。若い頃、『週刊文春』の記者をやっていて、先輩の堤堯さんに「堤さん、人に会うのが怖くないですか」と聞いたそうです。堤さんが「バカ、人と会うのが怖くて週刊誌の記者がつとまるか」と叱ったというのですが、立花さんにはそういうところがあります。本来、ブッキッシュな人なんです。
 そこへいくと田原さんは、一般的に言えば今や大先生なんですが、どこにでもヒョコヒョコ出かけていって人に会う。立花さんを書斎派としたら田原さんは行動派と言ってもいい。
 ところが近年の「日本の戦後」などを読んでもわかるように田原さんがこのところお年のせいもあろうか、かなりブッキッシュになってこられた。ブッキッシュになった田原さんが今後、どんな仕事をされるか、ますます楽しみです。
 もうひとつ、実は私、昨年『WiLL』という雑誌を創刊しました。で、「還暦過ぎて編集者やってる人はいるかもしれないけど、還暦過ぎて雑誌を創刊するバカはいないだろう」と言ってたんです。
 ところが、今度、田原さんが『オフレコ!』を創刊した。田原さんは還暦どころか、もう古希です。田原さん、お互いいつまでもバカやってましょう。
 
 姜尚中さん、福島瑞穂さん、加藤紘一さんらが挨拶したがおもしろかったのは田丸美寿々さんの挨拶。
 ある時、田丸さんが田原さんに聞いたという。田原さんは、グルメでもないし、旅行するわけでもない。酒も飲まない。クルマの運転もしない。何か蒐集してるという話も聞かないけど、いったい田原さんは何が趣味なんですか。
 たしかにそうだ。長い付き合いでも、田原さんと遊んだ記憶はない。いつも仕事ばっかり。
 田原さんが田丸さんに答えていわく、「ぼくの趣味は人間だ」。
 そんなエピソードを披露して、田原さんにチュッとキスした田丸さんがとても素敵でした。いい歳のとり方をしてます。相変わらずとてもきれいな脚でした。
 もうひとつ、この日、何人か政治家が出席していた。
 加藤紘一氏、安倍晋三氏らが挨拶した。
 二人ともさすがに挨拶はうまい。
 いけなかったのは小沢一郎氏。会場にいるのをみつけた田原さんが、ぜひひと言と頼んでいるのにイヤ、イヤと手を振って固辞。逃げるように帰っていった。あんな時、ひと言でいいから話をすれば会場も盛り上がるし、田原さんも喜ぶのに。相変わらずそのへんの気配りが足りない。
 山拓が会場の端にひとり立っていたのですが。淋し気というか、やや影が薄い気がした。

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2005-07-26

7月6日 秋山晴彦さん

 マガジンハウスに行ったので、隣の書店新東京ブックサービスに寄る。
 ここの秋山晴彦常務は書店業界では有名人。本、雑誌には一家言あり、業界の羅針盤として、ぼくは時々話を聞いている。
 奥の誇張でなくうなぎの寝床のような狭い空間(部屋とも言えないので)が店長室。
「いやぁ、売れないねぇ。雑誌もダメ。もう本屋はダメだよ」
 ダメ、ダメとイキナリ、キツイ一発。
「ウィル、絶好調なんですよ」
「そうかい。うちで何冊売れてるかな。十五、六冊だね」
 マガジンハウスの隣なので木滑さん(良久会長)や淀川さん(美代子常務『ギンザ』編集長)もよく立ち寄るこの店、秋山さんの好みとカンで独特の品揃えだ。
「でもね、今、この文庫、売ってやろうと思ってるのよ」
 前の平台に山積みにされた文庫は朝日新聞社から十年ほど前に出版された池田弥三郎さんの『銀座十二章』。奥付を見ると初版のまま。
「売れなかったようだけどね、いい本なんだ」
 池田弥三郎さん(故人)は慶応の国文の名物教授。銀座のてんぷら屋「天一」の跡取り息子だった人。
 早速、一冊買って読んでみたが、これが滅法面白い。明治、大正、昭和の三代にわたる銀座の変換を豊富なエピソードを交えて語り当時の銀座が彷彿とする。
 銀座四丁目の角にあった天一を、今の和光が強引に買い取る話など、当事者ならではの秘話。
 こういう隠れた良い本を、「売ってやろう」という秋山さん。まだまだ書店業界は大丈夫だ。

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2005-06-23

6月22日 東條由布子さん 

 今日はとても素敵な女性に会った。東條由布子さん、そうあの東條英機元首相のお孫さんである。孫といっても、もう60を越えていらっしゃるのだが、若く、生き生きしている。
 
 上坂冬子さんとの対談では東京裁判のこと、靖国のこと、理路整然と、そして情熱を込めて語ってくださった(次号掲載予定)。
 
「なぜ日本の政治家は中国や韓国に対してハッキリものを言わないのでしょう。経済人が問題なんです。中国相手に儲けることばかり考えている。政治家にも圧力をかけているに違いないですよ。今の中国も韓国も講和条約に調印したわけでもないし、靖国についてあれこれ言う権利はありません」
 東條家の孫娘として筆舌に尽くせぬ苦労をなさったはずなのに、そして話を伺うと現在もいろいろな問題を抱えながら、前向きに生きていらっしゃる姿に感動した。
「陛下は靖国にお参りなさるべきです。サイパンに行かれる前に靖国にお参りしてほしかった。国のために命を投げ出した人たちですから」
 国がやるべきことをやっていないから、と戦地での遺骨収集を続けている東條さんの言葉だけに重みがある。
 上坂さんも相変わらず元気。
「上坂さん、もう恐いもんナシですね」
「そうなのよ、花ちゃんも70過ぎたら、恐いものなくなるわよ。早く70になりなさい」
 早く、と言われてもなぁ。

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2005-05-05

4月30日 立川談志さん 

 今週は談志さんの話を2度聞いた。26日紀伊國屋ホールの「落語、芸談大会」と30日読売ホールの「談志ごのみの芸人大全2」。
 談志さんは少し声がかすれていたが、元気で相変わらず言いたい放題。26日、のっけに正蔵ことこぶ平について、ちょっとここでは書きにくいようなことをバクロしていた。
 志らくさんの司会で吉川潮さん、山藤章二さんと話をしたのだが、ひとりで喋りまくり。
「こないだゴッホ展、見に行ったんだが、ひどい混雑で、見ないで帰って来た。いやだね、ふだん絵なんて見ないくせに、群がって来る奴ら」
 話が終わって吉川さん、山藤さんが引っ込んだあとも、まだ話し足りない(客が物足りない)と思ったのか、ひとり残ってお喋り。
 相変わらずサービス精神の旺盛なこと。見習わなくては。
 30日の「芸人大全」ではアンジャッシュの電話のコントが圧倒的におもしろかった。
 談志さんは、26日も30日も小話をいくつか披露。そのひとつにアフリカン・ルーレットというのがあった。これは笑える話だが、内容についてはいずれどこかでお会いした時に直接お話します(談志さんのネタなので)。
 その前ふりにロシアン・ルーレットのことを説明した時に、談志さん、「ほら、『ディア・ハンター』でクリストファー・ウォーケンがやったやつ」。
 こういう言葉がすっと出て来るところが談志さんの若さ。
 冗談めかして「オレの話も1年くらいで聞けなくなるかも」なんて言ってたけど、まだまだ元気でいてくれなくては困る。

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2005-05-02

4月25日 石川牧子さん 

 日本テレビアナウンス学院でジャーナリズムの話をする。
 院長の石川牧子さんは元日本テレビ初の女性アナウンス部長。いつ会っても話が明解で(当り前か)、やることもテキパキして気持ちがいい。それでいて、美人でセンスもいいのだから、若い頃はモテたろうなぁ(いえ今も)。
 御両親の介護という大変な仕事を経験しながら(『お母ちゃんが起きられなくなった―パーキンソン病との七年間の闘い 東京仙台遠距離介護記』小学館文庫 に詳しい)そんな気配を微塵も感じさせないステキな女性だ。
 若き日の石川さんの失敗談。
 朝の番組を持っていた。ある朝、ふと目覚めると、放送開始時間をとっくに過ぎている。いけない!
「でも女って不思議なのよね。ああいう時でも、まず、いの一番に髪とお化粧をしてるの。30分ほど遅れて、怖る怖る上司のところへ行ったら、その上司が、こう言ったのね。『石川クン、遅れるなら、もっとどーんと遅れなきゃ大物にはなれませんよ』って。あのひと言で救われた気がすると同時に、もう絶対に遅れまいと思いましたね」

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2005-04-20

田原総一朗さん

 やっとタイトルが決まった。編集者は接客業、毎日、多くの人に会う。そんななかで、初めて知ったこと、感動した話などを書いていくつもり。
 
 で、第1回は田原総一朗さん。4月16日。
 
 この日からマスコミ学校が始った。開講式の講師は田原総一朗さん。ジャーナリストにとって大切なのは企画力という話に同感。生徒からの質問も活発で、今後が楽しみ。
 久し振りに会った田原さんは元気そうだった。講義の前にサンドイッチをつまみながら話をする。今、『現代』で戦後史の連載をしているがつくづく思うのは日本の新聞がいかにいい加減な報道を続けてきたかということだという。
「戦後、とくに池田内閣以降、日本の新聞が日本の政治、経済、外交などに関して書いてきたことは全部誤りだったね。ヒドイもんだよ。しかも新聞は一度もその誤りを認めたり、訂正したりしていない」
 新聞が何を、どう報じたかだけに絞って戦後史を見直してみたらおもしろい。
「どうですか」
 と水を向けたが、
「いや、ぼくはもうエネルギーが続かない。誰か若いライターにやらせたらいい」
 誰がいいかという話になって実名をあげてあれこれ話をしたのだが、これは秘密。近いうちに『WiLL』に登場するかもしれない。

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