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2008-09-25

【完全独占スクープ】金正日は心筋梗塞で再起不能 後継をめぐる極秘情報

WiLL11月号掲載記事抜粋
心筋梗塞で再起不能 「金正日後」の極秘情報
フィリップ・ホー(NGO国際人権協会北朝鮮問題研究員)


 八月十五日深夜、正確に言えば十六日の未明、ピョンヤンの北郊外で、ある交通事故が発生した。
 ハーレー・ダビットソンがスピードの出し過ぎで建造物に激突。運転していた若者が、重体に陥ったのである。
 言うまでもないが、貧困に喘ぐ北朝鮮でハーレーに乗れる若者など、皆無といっていい。特権を有する、いや、それも「極めつきの特権」を持つ者以外、この国では許されないものである。
 その若者の名は、金正雲(二五)。北朝鮮の最高権力者・金正日総書記(六六)の息子である。
 金正日には、三人の息子がいる。成恵琳(二〇〇二年モスクワで死去)が生んだ長男の正男(三七)、高英姫(二〇〇四年、パリにて死去)が生んだ二男・正哲(二七)と三男・正雲である。
 日本に入国しようとして成田から強制出国させられた長男の正男は、その特徴的な太った体と顔が日本でも有名だが、二男と三男の方は、馴染みが薄いだろう。
 しかし、この二男と三男への金正日の愛情の深さは、尋常なものではない。
 正哲は、スイスのベルンに留学し、正雲はスイスのローザンヌに留学経験がある共に“国際派”だ。
 正雲は、ジュネーブを拠点に活動しており、南フランスと北イタリアをバイクで疾駆する活動的な若者である。
 特に地中海に近いミラノに出ることが多く、ヨーロッパの情報機関は、正雲に・サニー・ボーイ・というニックネームをつけている。
(中略)

泣き崩れ、倒れた独裁者

 冒頭に挙げた交通事故は、深刻なものだった。
 正雲は、ただちにピョンヤン市内にある指導者たちだけの特別病院「烽火病院」の集中治療室に運び込まれた。
 外傷こそ目立たなかったものの、症状は極めて深刻だった。
 脳内のあちこちから出血しており、意識はなく、人工呼吸器につながれ、かろうじて生命を維持できている状況だった。
 一報を受けた金正日の衝撃は大きかった。夜が明けきれない内に病院に駆けつけた父は、最愛の息子の絶望的な姿を見て、取り乱した。
 筆者は、正雲のために急遽ヨーロッパから飛んだ医師たちの中に情報源があり、そこからさまざまな事実を入手している。
 その医療関係者は、筆者にこう語った。
「ショックを受けたこの哀れな父親は、目の前の出来事に耐えきれず、持病の狭心症の発作を起こしたのです。息子の姿を見た瞬間、一国の最高指導者とは思えないほど取り乱し、泣き出してしまいました。そして彼は胸を抑えて倒れてしまったのです」
 息子は集中治療室、金正日本人は、その場から特別病室に運び込まれるという事態となるのである。
 幸いに父親の金正日の方は意識が戻り、八月中には歩行ができるまでに回復する。しかし、心理的な落ち込みは激しく、「生きる意欲を失った」ほどの抜け殻に近い状態に陥ってしまう。
 金正日の危篤説や死亡説が流れるのはいつものことだが、今回が普段とは違うのは、息子が重体となり、本人もショックで持病である心臓に変調を来たし、同じ病院に入院するという予想もつかなかった事態に発展したことだった。

(中略)

急変した病状

(前略)

 これは、医療団が向かった対象が、当初、金正日ではなく、事故を起こした「金正雲だった」ことを物語っている。
 しかし、ピョンヤンに到着した救急医療の医師たちが診た正雲の症状は、「回復不能」という絶望的なものだった。

(中略)

 さて、異変発生で、慌ただしくおこなわれたやりとりを正確に掌握したNSAは、早い段階で「金正日の三男・正雲は回復不能」と、結論づけている。
 しかし、最も関心を寄せる金正日本人の病状については、時間の経過と共にさまざまな「変化」が生じてきた。
 NSAの幹部(米空軍大佐)によると、

(中略)

 九月十九日現在、極めてその病状は深刻なものに発展してきている。

(後略)

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以上の内容を含む、金正日の病状、金正日の主治医の情報は、9月26日発売のWiLL11月号に掲載されています。特別定価780円、全国書店で一斉発売。

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