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2007-03-30

遠くで

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 『ホリディ』を見に行きました。監督、脚本はナンシー・マイヤーズ。出演、キャメロン・ディアス、ケイト・ウィンスレット、ジュード・ロウ、ジャック・ブラック。

 私は基本的に「恋愛」映画は見に行きません。「恋愛」を軽視しているつもりはないのですが、それだけがメインとなると、「もっと他にもあるだろ」と思ってしまうわけです。野暮といえば野暮ですが。
 しかし『ホリディ』には私の好きなキャメロン・ディアスが出ますし、何といっても“あの”ジャック・ブラックがロマンチック・コメディに出るのです! “あの”とは、ジャック・ブラックが『スクール・オブ・ロック』や『ナチョ・リブレ』など、ハチャメチャでありながらキュートな役を演じてきたぶっ飛ぶ役者だからです。これは見たい。

 ロスに住むアマンダと、ロンドンから離れた郊外に住むアイリス。時を同じくして恋の悩みを抱え、その現実から離れたくなり、ネットで知り合い、お互いの家を交換して2週間の休暇を過ごす。映画予告制作会社を経営するアマンダは、交換先のロンドンでアイリスの兄グレアムと会う。一方アイリスは近所の老映画脚本家と交流を深めたり、ひょんな事から知り合ったマイルズと「友人」として信頼を深めていく。しかし、そのうち……。

 ベタで王道の恋愛映画と言っていいでしょう。ラストはハッピーエンドなのですが、はっきり言って現実的な問題は何一つ解決されていません。強引に終わらせいます。
 でも、「それでもいい」と思わせる力が映画にはあります。物語に変にリアリティを持たせるのではなく、あくまでファンタジー(空想)としての「恋愛」を描きたかったからでしょう。
 それは、まるで一昔前のハリウッド映画のようです。

 そう、この映画はどこか“古臭さ”を感じます。それと同時に、痛烈な現在のハリウッド批判も描かれている。それらはイーライ・ウォラック演じる老映画脚本家のセリフの端々に顕著に現れています。もしかしたら、監督が一番言いたかったのはこの部分じゃないでしょうか。個人的にも、脇役の彼の話が印象に残っています。

 さて、恋愛模様についても少々書きます。(ネタバレです)

 アマンダは「肉体」からの恋愛です。ジュード・ロウ演じるグラハムと出会ったその日にベッドイン。どうも欧米の映画では、淋しい同士が会うと、その淋しさを紛らわすために、すぐさまセックスをします。ハル・ペリー、ビリー・ボブ・ソーントン出演の『チョコレート』でも淋しさからのセックスがありました。もっと精神の交流ができんのか、オマエラは、と見るたびに思います。
 それはお手軽だし、おそらく即効性もあるでしょう。しかし、それはその時、救われただけ。「それでもいい」と割り切れるのならいいのですが、しかし思いは進んでいき、結局「それじゃいやだ」になったとしたら……。映画ではうまくいきましたが、さて、現実ではどうなんでしょうね。

 対してアイリス。老脚本家と交流し、自身の問題も解決。マイルズとの関係も友人から発展。余談ですが、「友人から恋人へ一歩前進」だとか「友達以上恋人未満」という表現がありますが、それはなんですか、友情の方が恋愛より“下”だということなんでしょうか。イマイチ納得できない。
 
 ともかく、二人とも新しい恋へと踏み出したわけです。幸せになってくれれば嬉しい。

 だけど、できれば「恋愛」において、「恋人ができる(いる)」という結論より、もう一歩先に行って欲しかったです(『プラダを着た悪魔』は、一歩先に行っていたと思います)。
 先に書いた通り、ファンタジーとしての「恋愛」を描いたわけですから、それでもいいといえばいいんですが、ちょっと物足りなさを感じました。

 相変わらずキャメロン・ディアスは銀幕上では最高にカワイイ。映画以外だ、あまりカワイクないんですよね……不思議。映画女優だからそれでいいと思いますが。ジュード・ロウの気障男振りもいいし(あまり好きではないのですが)、ケイト・ウィンスレットのやぼったさもよし。何と言ってもジャック・ブラックの普通演技がよかった! いつ叫びだすのかと思っていましたが、意外や普通人も味があります。ステキでした。

 頻繁だと飽きるでしょうが、たまにならこういう映画もいいもんですね。

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2007-03-23

直前の生

 5月号も無事校了を迎えました。発売日に店頭に並ぶので、手にとっていただけると嬉しいです。
 で、連夜の作業の疲れを取るべく見に行った映画が、物凄く重い内容で、さらに疲れがたまってしまいました。
 その映画は 『パラダイス・ナウ』です。
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 イスラエル占領下のヨルダン川西岸地区ナブルス。自動車修理工として働く幼馴染のサイードとハーレドは、自動車修理工として働いているものの、占領という事実の中で未来も希望もない毎日を過ごしていた。そんなある日、自爆志願者をつのるパレスチナ人組織の交渉代表者ジャマルにテルアビブでの「自爆攻撃」を任ぜられる。ところが目的地に向かう途中でアクシデントが起こり、自分では外せない爆弾を身につけたまま二人は離れ離れになってしまう。

 この映画は、『WiLL』07年4月号で吉田真由美さんが取り上げておられます。その月のイチオシは『ラスト・キング・オブ・スコットランド』だったのですが、実は『パラダイス・ナウ』にしようかと迷ったそうです。結局『ラスト~』にしたのは、『パラダイス・ナウ』の内容があまりにも重く深いので、決して明るく「イチオシ!」とは言えないから、だそうです。実際に見て納得しました。

 時間は90分と短めながら、丁寧に、そして真摯に作り込まれており、長く濃く感じました。

 アメリカではアカデミー賞ノミネート時に反対運動が起きたそうです。「自爆テロ」の話だから、拒否反応を起こしたのでしょうか。映画をちゃんと見れば礼賛なんかしていないのがわかるはずですが。
 「自爆テロ」を正当化せず、しかし拒絶もせず、“説明”しています。だから見ている者は考え迷う。

「この方法(自爆テロ)で世界は変わる」

 「自爆テロ」という方法は、明らかに“誤った”行為と言えます。しかし、それを選択してしまった若者の思いまで否定できません。“それ”しか方法がないんだ、“それ”で世界が変わるんだ、という純粋とも言える思い込み。そして、それ以上に大きい、自己破壊的な内なる衝動。
 若者が走っていくのを止められる事は、できない。

 しかし、それでもこの映画はこう叫んでいます。

「他に道はある!」

 テロの話なのに、映画には血も弾丸も爆発も一切出てきません。描かれているのは穏やかな日常であり、そこに潜む暗さです。加えてこの映画の場合、舞台がイスラエル占領下というとても複雑な背景のある人間達。先に書いたように、私にはテロを美化した映画には見えませんでしたが、もしかしたら当事者には違って見えるのかもしれません。

 この映画がストーリーの時間通りに撮られたかどうかは不明です。しかし、冒頭と終わりの主人公二人の顔が全く違います。一人の顔が段々晴れやかになるのに対し、もう一人はドンドン“黒く”なっていき、一点だけを見つめている。たった2日で、「死」は、ここまで人間を“成長”させるのでしょうか。

 勿論、これがフィクションであり、彼らは本当に死ぬわけではないから、私が見た“成長”は思い込みかもしれません。だけど、この映画はフィクションとドキュメントの曖昧な境目にあります。絶対に「嘘」なのだが、「嘘」だからこその「リアル」が潜んでいるのです。

 凄い映画ではありません。しかし「映画って凄い」と思うでしょう。

 ラスト、画面が真っ白になり暗転、音が一切ないエンドロールへと繋がっていきます。真っ黒な背景に白くキャストの名前が浮かび上がっては消えていく。

 沈黙の中に、若者達の叫びが聞こえた気がしました。

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2007-03-08

「わからない!」という叫び

 まさか更新せずに3月に入るとは思いませんでした。こんにちは。『WiLL』の川島です。申し訳ありません。月日が流れるのって早いなぁ……。何本か見ているんですけど……公開終っちゃった作品ばかりだなぁ。

 で、先日、ある映画を見に行きまして、これの感想を書こうと思っていました。見る前までは。しかし、見た後、これはどう書けばいいのかと悩みました。どう書けば、というのは感想が書きにくいというレベルではなく、私がこの映画について書く言葉がない、というレベルで、です。

 見に行ったのは黒沢清監督『叫』です。

 黒沢作品は何本か見ていますが、いつも同じ気持ちになります。それは「わからない」という気持ちです。謎がわからないとか、何がテーマなのかわからないとかではなく、「この映画はいったい何なのか」が「わからない」というレベルでわからないのです。

 『叫』でも同じ感想でした。何なんだこの映画は。

 今までの黒沢作品に比べ、ストーリーは解り易いし、ミステリー要素も魅力的。ホラー要素は正直笑ってしまうようなものでしたが。
 廃墟、埋め立て地、地震、海水、女、男といったキーワード達。
 味のある演技をする役者陣。
 どこか淋しい光の使い方。
 どれもすばらしい。しかし、どれも私の心には何も響いてこない。誤解して欲しくないのですが、謎が解明できなかった(されなかった)からでも、理路整然と説明されていないからでも、作品のクオリティが低いわけでもないのです。
 これだけ“伝わって”くるものがあるにも関わらず、“響く”事は決してない。
 私が黒沢清と“わかりあえる”日が来ることはあるのでしょうか。

 鑑賞後、私は軽い混乱に陥りました。その時、「全てを無しにしたかった」という容疑者の言葉が聞こえてきました。このまま「わからない」という気持ちで家に帰るのは嫌です。「全てを無し」にするため、私の足は別の映画館に向かっていました。

 映画の混乱は映画で消す。『劇場版 龍が如く』を見に行ったのです。

 何でその映画やねん! というツッコミが聞こえてきそうですが、劇薬という事です。
 『龍が如く』というのは、もとはゲームです。私はこのゲームの大ファンで、年末年始は『1』『2』をずっとプレイしておりました。ゲームについて書き始めると膨大になるので、ここでは割愛いたします。

 ゲームの映画化……わかっています。うまくいくはずがないんです。相当の“濃さ”を持っているゲームを二時間ちょっとでまとめるなんて、至難の業。いくらSPEED主演の『アンドロメディア』から哀川翔主演のVシネまで監督した三池崇史でも無理だって事くらいわかっています。

 で、実際に見たのですが、言いたい事は山の如くあります。ええ。書き始めたら止まらないでしょう。批判ばかりになってしまいそうなのですので、省略します。
 しかし、その反面、メチャクチャ笑ったのも事実です。口にするのは悪口だけど顔には満面の笑みが浮かんでいます。冒頭の30分は最高の気分でした。これで金払った価値はあった気がします。多分気のせい(迷い)でしょう。最後には「金返せ」と思っていたのも事実だったりしますし。三池監督なら、もっとできたと思うんですがねぇ……。
 終ったあと、『叫』の混乱は消えていました。随分な荒療治だった気がします。その日は一日放心しておりました。

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