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2007-02-05

ぶっ飛びジジイ

 書いている私が言うのもなんですが、このブログ、『WiLL』編集部のブログなんでしょうか。私の映画感想ブログになっている気がします……。
 気を取り直して。
20060921214342
 『世界最速のインディアン』を見に行きました。監督はロジャー・ドナルドソン、主演はアンソニー・ホプキンスです。まさかアンソニー・ホプキンスがライダーの役をやるとは。確か、68歳ですよ。

 タイトルを見ると、物凄く足の速いインディアン(ネイティブ・アメリカン)の話かと思いますが、これはバイクの「インディアン」の事です。日本人のほとんどがタイトルだけで、そう間違えてしまいそうです。実際、間違えたのは私です。
「アンソニー・ホプキンスで……ランナーの話なの? 走るの? あ、アンソニーはトレーナーか!?」
 とわけのわからん予想をしてました。本当はバイク「インディアン」に乗ってスピード世界記録(300キロ以上!)を作った63歳のジジイ、バード・マンローの話。そう、実話なのです!
(ネタバレあり、と書こうと思ったのですが、結末などは分かりきっていますし、というか書いちゃっていました)

 いわゆる「スポコンもの」です。嫌いな人もいそうですが、私は好きです。わかりやすいし、逆転劇はやはり見ていて爽快。しかも実話と聞けば、心躍ります。

 さらに、この映画にはスポコンものであると同時にニュージーランドから、会場となるアメリカ・ボンヌビルの塩平原(ソルトフラッツ)まで行く“ロードムービー”の要素もあるのです。この道中の話がとてもいいのです。それにしても塩でできた土地というのは凄いですね。どこまでも平ら。一度行ってみたいです。

 マンローは様々な人と出会い、助けられます。みんな、あまりにもいい人ばかり。脚色があるでしょうが、これが実話なのだから、出会いって素晴らしいですね。

 その道中の人々は、ジジイが世界記録に挑む(しかもバイクの!)と聞き小馬鹿にしますが、マンローは意にも介さず自己紹介をし握手をします。そしてバイクへの熱き思いを語る。気付けばみんな笑顔で話を聞き、マンローを助けてくれる。再び握手をして別れる。もしかしたら二度と会わないかもしれない。だけど「それじゃあまた」と言いながら別れる姿は美しいです。

 アンソニー・ホプキンスが68歳にしてバイク乗りを熱演しています。最初はそれほど魅力的でもなかったマンローが、物語が進むにつれ、どんどんチャーミングになっていきました。微笑ましいったらありゃしない。バイク乗りにしては少々太めなのは目を瞑ろうじゃないですか。

 特に捻りもなく、ストレート過ぎるといっていい物語です。まさに「スポコン」。しかし、こんなに楽しく、愉快な気分にさせてくれる映画も久し振りかもしれません。
 舞台は1962年。アメリカはベトナム戦争中。同じ時期に《夢を諦めるくらいなら、野菜になった方がましだ》と言い放ちバイクに跨るジジイがいた。そして―繰り返しになりますが―これが実話なのだから愉快で愉快で、見ながら頬が緩みっぱなしでした。

 それにしても、何故人はスピードに憑りつかれるのでしょう。F1が好きな私も不思議でしたが、その答えもマンローが教えてくれました。

《5分は一生に勝る》

 5分どころか1秒、100万分の1秒も一生に勝るのでしょう。マンローはじめ彼らは多分、世界記録を超える瞬間、いわゆる「スピードの向こう側」に行った瞬間「死んでもいい」と本気で思うのかもしれません。

 その後、マンローは大会に参加し続け、1967年に作った世界記録は未だに破られていません。技術が進化し、運転技術が上達しても、1920年製の「インディアン」に乗っていたジジイの記録を破る事ができない。必要なのは“自分の”技術と経験。そして、情熱。最速で走るためにそれ以外に何が必要なのか。つまり、最後は「人間力」なのだ、とはっきり証明しています。

 僅かな人間しか到達できない一点を目指し、マンローは人生を駆け抜けます。貧乏でも、孤独でも(実際は孤独ではないけど)、周りから冷やかされても、気にしない。夢に向かって、勇気と、優しさと、行動力を持って走る。

 自分の心の内にある好奇心、夢に真正面であり続ける姿は、美しさと素晴らしさに溢れています。

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5.龍さんの『ポップコーンキネマ』」カテゴリの記事

コメント

加藤幹敏中日新聞編集局長を告発する

2006年3月3日、運転免許を取り消された上に酒気帯び運転をしたとして
田島真一中日新聞生活部記者が逮捕された。
田島記者は2004年11月、免停中に車を運転して物損事故を起こし、
2005年1月に免許の取り消し処分を受けていた。
中日新聞社は極秘に田島記者を3月15日付で停職3カ月とし、
記者以外の部署に異動、社内に緘口令を敷き事実を隠匿した。

しかし、田島容疑者が起訴され9月に検察の求刑が出された時点で他紙に嗅ぎ付けられたため、
常習性があるとして懲役10月、執行猶予3年の有罪判決が出た9月8日にようやく報道、
しかし他紙が実名報道するなか匿名にとどめる。

さらに田島記者が2005年3月から1年間、署名入りで書いていた連載記事において、
他社の書籍のイラストの継続的な盗用が発覚。しかし処分は上司のみに下される。

これら一連の田島記者をめぐる中日新聞社の不可解な行動には理由がある。
田島記者の親族に父親の田島暁中日新聞論説主幹ならび
叔父の田島力東京新聞論説委員と二人の幹部がいたためである。
この二人に加藤幹敏中日新聞編集局長が配慮した結果だったのだ。

加藤編集局長は将来の社長候補である。
つまり自身の出世のために田島家に恩を売ったのである。

一方で判決後、事態が明るみになった責任を取り、田島暁中日新聞論説主幹は論説委員に降格した。
これにより加藤編集局長は社内でよりいっそう発言力を高めることになった。

名古屋市民、日本国民よ、このような自己の利益のみに執着する人間を許してはならない。
加藤幹敏ならび田島一族、そしてこのような輩が君臨する中日新聞社をジャーナリストと認めてはならない。

投稿: 草間俊介 | 2007-02-21 06:26

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